こんにちは。クリリンです。
日々努力を重ねているのになかなか報われないことって誰にでも経験があると思います。
まぁそう簡単に努力が実っていたら人生おもしろくないですよ。(笑)
とはいえ、相当時間努力したのに成果が上がらないことほど辛いものはないというのも事実です。
そこで、今回は努力が報われない時に思い出すべきことをまとめました。
努力が報われないのは何故かを考える
“努力は裏切らない”っていう言葉は不正確だ。 正しい場所で、正しい方向で、十分な量なされた努力は裏切らない。
東進予備校講師 林修
努力が報われないと感じた時に、真っ先に思い出してほしいのはこの言葉です。
その努力は正しい方法でなされていますでしょうか?
ここでいう“正しい”とは「自分に合った」という意味です。
全ての人間に共通する正しい方法などというものは存在しません。(仮に存在するとすれば、今頃皆さん全員東大に合格してますよ。)
すなわち、「自分に合った努力の方法」というのは人から教えてもらうことは出来ず、成果を出すためには「自分に合った努力の方法」を自分で見つけ出さなければならないのです。
だから、成果を出すのは難しいのです。
努力の間違いを指摘するのに抵抗する必要はない
自分が今までしてきた努力を「間違いだった」と指摘することは、自分自身の過去を否定することですから、やはり抵抗があることかもしれません。
その必要はありません。
「自分にあった」というのは人それぞれなのですから、一発で正しい努力ができる人などほとんどいないからです。
むしろ、過去を省みずに間違った努力をし続けている人が大半なので、修正ができる人は成長速度が抜きん出ます。
「間違った努力」というのは「自分に合った努力」を見つけるために通るべき道なのです。
“正しい努力”とは何か
では、“正しい努力”とは具体的にどういうものなのでしょうか。
林先生はその“正しさ”を3つの要素に分解しています。
- 正しい場所
- 正しい方向
- 十分な量
このままでは少し抽象的なので、この3つの視点から具体的に考えてみます。
正しい場所
“目標に向かう線路沿いにいるか”
ということです。
これは余りにも当然なことで、極端な例を挙げるとすれば、
・第一志望の大学の入試科目にない科目の勉強をする。
・サッカーの大会に出るのにバスケの練習をする。
意味不明ですよね。
多くの人はここは問題ないと思います。
正しい方向
“目標に沿った努力をしているか”
ということです。
具体的な例を挙げると、
・東大数学で得点を取るために数学オリンピックの問題ばかり解いている。
・サッカーを上手くなるためにリフティングばかりしてシュートの練習をしない。
確かに、数学オリンピックやリフティングは目標達成に繋がるものかもしれませんが、これらの努力は目標に直結するものではありませんよね。
東大数学で得点を取りたければ、東大数学の過去問や類題をたくさん解くのが良いでしょうし、サッカーを上手くなるためにはバランスよく練習メニューを組まなければなりません。
ここは多くの人が見直すべき観点だと思います。
最終目標をしっかり確認して、本当に自分に必要なものなのか見直してみてください。
十分な量
当然、目標達成のためには量も必要ですよね。
正しい場所・正しい方向の観点から「努力の質」を上げれば、あとはひたすら量を積むだけです。
ここは多くの人が理解している部分でしょう。
「理解している」とは言っても、結局多くの人が乗り越えられないのが「量」の壁であることも現実です。
そんな人たちに向けて、以下の言葉を送りましょう。
報われない努力は「努力」とは言わない
これは東大理Ⅲ合格者を毎年多数輩出する最大手予備校「鉄緑会」が、日々生徒の頭に叩き込んでいる言葉です。
報われない努力は「努力」とは言いません。
結果が出ないとすれば、それは「努力」ではなく、単なる「行動」です。
はっきり言って、並大抵ではない結果を実に結んでいる人たちの「努力」はもはや狂気じみています。
そんな努力を成し遂げた人だけが、大きな成果を手に入れることができるのです。
まとめ
成果が上がらない時には、その努力が本当に自分にとって最適なものなのかを見直す必要があります。
仮に間違えた努力をしていたとしても、それは遠回りではなく、自分に最適な努力の仕方を見つけるための通るべき道なのです。
そうして「努力の質」を見直した後は、結局「努力の量」を追求するしかありません。
大きな成果を出したければ、毎日ひたすら努力してください。
成果が出るのは明日かもしれませんよ。
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