こんにちは。クリリンです。
皆さんは学生時代の部活についてどう思っていますか?
「勉強時間が奪われるので部活はやりたくない。」
「顧問の指導が厳しくてしんどいので退部したい。」
こんなことを思っている人もいるかもしれませんね。
そんなお悩みを持っている人たちに向けて、今回は学生時代に部活に取り組む意義についてお話していきます。
部活を続けるのは辛いこと
最近、年中休みなし・スパルタ指導のブラック部活が話題となっていますよね。「体育会オヤジの独善」や「部活至上主義者の横暴」など、さんざんな言われようで現在に至っています。
そうでなくても、一定時間拘束されてしまう部活を続けるのはしんどいものがあります。
- 部活のスキルは将来役に立たない。
- 勝てないとわかっていながら努力する。
- 理不尽な指導。
- ともかく厳しい練習。
理由は思いつくだけでもこれだけ挙げられます。
何故か部活をやるのが当たり前な風潮だったりして、辛いながらもなんとなく続けている人も多いでしょう。
もちろん部活を好きでやっている人は問題ないと思いますが、嫌々ながらも続けている人は部活の存在意義を考えているのではないでしょうか?
部活に取り組む意義
色々と考えた結果、いつかは部活を退部しようと考えている人もいるかもしれません。
本当にそれでいいのでしょうか?
実際、僕は小中高大とすべて、しんどい思いをしながらも部活に取り組んできましたが、その恩恵は数えきれないほど受けてきました。
その部活に取り組む意義についてお話していこうと思います。
社会性・チームワークの養成
これはごく一般的にありふれた見解で、綺麗事と捉えられがちかもしれませんが、
紛れもない事実です。
もちろん競技によって身につく度合いは変わってくるかもしれませんが、
“やらないよりかはやったほうがいい”
というのは否定のしようがありません。
人間としての礼儀や敬語の使い方などの人間関係も含めて、社会性やチーム力というのはちょっとやそっとでは身につくものではありません。
「部活」という場で年単位での訓練を通して身につけておくことは、将来に直結するとても大切なことなのです。
達成感を実感できる
“目標を立てて、達成すること”
というのは人生においてもとても大切なプロセスであることは言うまでもありません。
勉強でも同じことが言えるかもしれませんが、実技の面でこの達成感を実感しておくことは将来により直結する体験となります。
また、達成することだけが有益な体験となるわけではありません。
例え達成できなかったとしても、何故達成できなかったのか、どうしたら達成することができたのかについて自らを省みることは人間として成長する一つの大切な視点です。
勝利と同じほどに敗北には重大な価値があるのです。
打たれ強くなる
日本社会の理不尽さは今や大きな社会問題となり、これから解消へと向かっていくことはほぼ間違いないでしょう。
しかし、それは理不尽さに打ち勝つ精神力を持ち合わせなくてもよい理由にはなりません。
それに、資本主義社会がある以上は、多少の理不尽さは切っても切り離せません。
よく、「キャパシティは人それぞれ」なんていわれたりしますが、人それぞれなりにもキャパシティは育てることができるのです。
多少の理不尽さに打ち勝つキャパシティは持っておくに越したことはありませんよね。
多少しんどいことがあっても、「あの頃と比べたら…」で流せるようになってしまいますよ。
勉強が捗る
多くの場合、部活は勉強の妨げになると言われていますよね。はっきり言っておきますが、
部活を理由に勉強をしていない人は、部活が無くても勉強しません。
逆に、本当に勉強のやる気がある人は、むしろ部活があったほうがメリハリがついて勉強が捗ります。
そしてメリハリのつけ方を覚えた人は受験生になったら更に効率的な勉強をこなします。
本当の一流は、部活を邪魔者扱いせず、部活を利用するのです。
部活の意義は大人になってから分かる
部活の実体的な意味は、「学校」よりもっと大きな「社会」という枠組みの中で考えないと正確には伝わりません。
仮にあなたが部活をしない、あるいは辞めるという選択肢を取った場合、上に書いた恩恵はすべて水の泡です。
今は部活の実態的役割が分からなくても、いつか必ずその恩恵を感じることのできる日が来るはずです。
まとめ
もちろん、部活で学べることというのは、部活以外でも学べることであるのは事実です。他の方法で身につけるというのもいいでしょう。
しかし、「部活」は最も身近なものであり、厳しい部活を共に乗り越えた仲間たちとの絆は一生ものです。
「あの時、部活に一生懸命だったから、今の自分がある。」
そう言える日を心待ちにして、今はひたすら部活に取り組むというのもいいかもしれませんね。
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