「勉強は努力か?それとも才能か?」
このような議論は頻繁に行われていることでしょう。
古くより、この議題については、各々の経験に基づく”直感的な”判断により、
自分は凡人から東大に受かったのだから、勉強なんてものは努力で何とでもなる。
とは言っても、多少ばかりの才能も必要なのかもしれない。
などと意見が交わされてきたのではないでしょうか。
ところが、近年では自然科学的な手法を通した行動遺伝学において、「学力」と「遺伝」に関する研究がなされてきました。
結論を言いますが、学力には才能、すなわち”遺伝的要因”が大部分を占めているということが明らかになっています。
今回はこのテーマについて深掘っていこうと思います。
学力はほぼ遺伝で決まる

最初に結論を言います。
学力はほぼ遺伝で決まります。
あまりに残酷な事実ですが、近年の研究における行動遺伝学では以下のように結論付けられています。
- 学業成績は55%が遺伝する。
- 論理的推論能力は68%が遺伝する。
- 一般知能(IQ)は77%が遺伝する。
これはすなわち、一般的に言う”学力”はおよそ6割が「遺伝」で説明可能だということです。(数値に関しては諸説ありますが、どの説でも概ねこのくらいの数値です。)
「学力だけは公平」とする社会通念は不可解
ここでは少し非科学的で直感的なお話になりますが、「学力だけは公平」とする考え方には少し無理があります。
「容貌・性格が遺伝する」
という事実に関しては、皆さんも薄々はご理解なされている方が多いでしょう。
その一方で、「学力だけは遺伝せずに生まれながらにして平等」というのは、違和感を覚えざるを得ません。
その他にも、
「スポーツや芸術には才能が大きく関与する」
ということも多くの方が認めている事実だと思いますが、「学力だけは公平」とするのはあまりに不可解ではないでしょうか。
特に小中高生の頃、
「どうしてあの人はあんなにも速く走れるのだろう。」
「どうしてあの人はあんなにも歌が上手いのだろう。」
「どうしてあの人はあんなにも勉強ができるのだろう。」
と、誰しもが同じように感じたことがあるはずです。
今一度、冷静になって考えてみれば分かることですが、
「学力は遺伝する」
と考えるのはごくごく自然なことなのです。
“遺伝”以外の要因:”環境”もコントロール外
ここまで「学力は遺伝する」という記述を繰り返してきましたが、先述の通り、一般的に言う”学力”の遺伝率はおよそ6割です。
そこで、残りの約4割に救いを求めている方もいらっしゃるかもしれません。
結論を言うと、この4割は”環境”です。
この”環境”についても、遺伝的資質が近い双生児を比較する研究を経て明らかにされたことがあります。
それは、
「”家庭環境”が学力に重大な影響を与える」
ということです。
たとえば、親が子どもに知的な刺激や勉強に集中できる環境を与えているかどうかで、子どもの学力は大きく変わるということです。
確かに、これは親にとってみれば、「遺伝」より他に子どもの学力を向上させる可能性の余地があるということを意味しますが、
しかし、それはあくまでも親視点のお話です。
子ども視点からすれば、親も家庭環境も自由に選ぶことはできないため、「遺伝」と同じくらいのレベルで「家庭環境」も”どうしようもない要因”なのです。
総じて言って、人間の「学力」なるものは、およそ90%近くが”コントロール外の要因”によって説明されてしまうということになります。(数値に関しては諸説あり。)
“努力ができるかどうか”も遺伝で決まる
さて、ここまで「学力は本人ではほとんどどうしようもない」という、あまりにも耳の痛い現実を押し付けてきましたが、ここで最後にもう一つ、冷酷な事実を付け加えておきましょう。
「人間の学力のおよそ9割がコントロール外」
ということは、残り1割程が、いわゆる”努力”でどうにかなる部分です。
皆さんも、「テスト前に勉強することによって成績が上がった」という経験は少なからずあるでしょう。
もちろん、これは当然のお話ですが、遺伝的に才能があるからと言って、勉強しなければ元も子もありません。
そういった意味では、「学力向上のために努力をする」ということも大切な視点であることは間違いありません。
しかし、残酷なことに、「”努力ができるかどうか”も遺伝で決まる」という事実が最近の研究で明らかになっています。
これは勉強に限った話ではありませんが、
「人間が何か努力をする時、くじけたり飽きたりすることなく、長時間取り組むことが出来るかどうか」
というのは、生まれながらにして遺伝子にプログラムされているのです。
こういった遺伝子は『努力遺伝子』と呼ばれています。
「努力できるのも才能の内だよね。」なんてよく言われたりしますよね。
“人間の学力は「才能」と「努力」の両方で成り立つ”というのは紛れもない事実ですが、
その「努力」すらも、『努力遺伝子』の存在によって、「才能」の内に組み込まれる、というのが今のところの自然科学の結論です。
つまり、学力はほぼ遺伝で決まります。
「努力は美徳」はむしろ不条理

昨今の学校の先生、塾の講師、親など多くの方々は
「成績が伸びないのはあなたのやり方に問題があるから。そもそも努力が足りていない。もっと真摯に勉強と向き合いなさい。」
などと成績が上がらない責任を子ども本人の”努力のあり方”に押しつけているのではないでしょうか。
確かに、「ひたむきに努力をすること」は素晴らしいことかもしれません。
しかし、”遺伝の事実”を考慮すると、これほど不条理なことはありません。
今の日本には、
「学力は遺伝する」
という知見が常識にはなっておらず、
むしろその正反対の考え方、つまり
「学力は努力次第でどこまでも向上できる」
という考え方のほうが一般的です。
ところが、学力の大半が遺伝によって決められてしまっている以上、ただ闇雲に成績が上がらない理由を”努力のあり方”に帰着させるのは間違っていると言わざるを得ないのです。
容貌が優れない人に向かって
「あなたの努力が足りないんだよ。」
などと言わないように、
勉強が出来ない人に向かって
「努力が足りない」
と言うのは基本的におかしな話なのです。
それでも努力は無駄じゃない
「学力が遺伝で決まるなら努力しても意味がないのか?」
ここまで読んでくださった方にはそう思えてしまうかもしれません。
「無駄ではない」と断言しておきます。
理由は以下の二つです。
- 自分の遺伝的適性は努力をしないと見つからない
- 自分の限界は知っておいた方が良い
自分の遺伝的適性は努力をしないと見つからない
もちろん、「学力」と「遺伝」の関係が自然科学によって明らかにされている以上、
「努力すれば必ず報われる」
などと綺麗ごとを申し上げたい訳ではありません。
ここで言いたいのは、
「自分の遺伝的適性を努力を通して確認しておくべきだ」
ということです。
例えば、IQの高低にかかわらず、ある特定の分野においてトップクラスの才能を秘めた人は実際にいることも分かっています。
そもそも、厳密な遺伝子検査をしない限り、皆さんは自分自身がどの程度の遺伝的適性を持っているかなどご理解なされていないはずです。
にもかかわらず、
「自分はダメな人間だ」
と端から諦めるのも如何なものでしょう。
自分の適性を見つけるためには、努力をすることは避けて通れないのです。
自分の限界は知っておいた方が良い
努力を通して自分の適性を見つけると同時に、
「自分の限界を知る」
という視点もまた大切です。
例えば、勉強を通して、自分は努力ができる人間だということが分かったなら、これからの人生における自信に繋がるでしょうし、
一方で、どれだけ人から「頑張れ」と励まされようが、自分はなかなか努力することが出来ないということが分かったなら、これからの人生で”頑張らない生き方”という考えを持っておくことも、人生を豊かに送っていく上で大切なことでしょう。
“遺伝子”は自分の人生に一生付き纏ってくるものですから、
・自分はどんな人間なのか
・自分の限界はどこなのか
を知っておくことはとても重要なことだと僕は思います。
最後に:この事実を知らないほうがよっぽど残酷
今回のお話を聞いて、
「自分はそもそも遺伝的に優れていないから、ここから巻き返すことは出来ないのか。」
と落胆する人もいる一方で、
「自分が勉強や努力が出来ないのは、そもそも遺伝的な問題だったのか!」
と安心した人もいるかもしれません。
この記事では、「学力は遺伝する」という事実を”残酷な事実”と評していますが、
僕自身、「この事実を知らずに苦しい努力を強いられる」方がよっぽど残酷だと思います。
にもかかわらず、建前上、学校の先生や塾講師は、こういった事実は口が裂けても言えません。
最後に一つ言えることは、
人間にはそれぞれに違った遺伝子があり、人間の数だけやり方があります。
「遺伝的に優れないから」と言って、諦めることはありません。
あなたはあなたなりのやり方で、1歩ずつ進んでいけばいいのではないでしょうか。
参考文献(↓興味があれば是非読んでみてください。)
コメント