こんにちは。クリリンです。
“学歴は本当に必要か”
最近、このテーマについて熱い議論がなされています。
高学歴だからといって仕事ができるわけではないというのは今や周知の事実となりました。
「東大生は使えない」なんていうことも話題になってしまいましたね。
そんな学歴社会の終わりに差し掛かろうとしている今、本当に求めるべきものについて考えてみたいと思います。
学歴社会は本当に終わったのか
「学歴社会」とは、社会的出自、本人の能力・業績・人格などに比べて学歴 (学校経歴) が職業、所得、社会的威信、社会的地位を決定する度合いの強い社会のことを言います。
ただし、これは国を以て明確な基準があるわけではなく、あくまでも「社会的風潮」という曖昧なものでしかありません。
「学歴社会の終わり」と本当に言い切れるのでしょうか?
学歴社会発足の経緯
近代以前の社会においては、人々の社会的地位や職業は身分・家柄・財産によって定められ、世襲・血縁・地縁などを加味して人材の選抜・配置が行われていました。
ところが、18世紀から19世紀ごろにかけて、近代的な官僚制度が生じ、官僚たちが「試験」によって任用されるようになります。
また同じころ、専門的知識・技術が必要とされる職業についても試験制度が取り入れられ、学歴はそれらの職業につくための基礎資格として徐々に重要性を増していきました。
このような人事制度は、「人々の能力・業績を公平かつ客観的に図る方法」と謳われ、
“身分制社会から人々を解放して社会問題を解決する手段”
として各国に普及していきました。
つまり元々学歴制度は、不平等社会から平等社会を目指すべく導入されたのです。
学歴社会の問題点
学歴社会においては、勉強ができる人が無条件に社会的高地位を手にしてしまいます。
その制度に対し、
「勉強ができるだけで評価されるのはおかしい。」
「勉強しかしてきてない奴は仕事ができない。」
などという声が上がり始めました。
元々、人々の能力・業績を公平かつ客観的に図る方法として導入された学歴制度でしたが、
- 生まれながらにしての才能の違い
- 塾や予備校などの学習環境の差
- 勉強と仕事は本質的に無関係
という観点からすればその目的に反するのではないかという考えが最近になって生まれ始めたのです。
確かに筋がない訳でもないので、この考え方は徐々に浸透しはじめます。
現在、必要のないものは?1位「学歴」
企業ビジネスの最新動向を発信するオンラインビジネス誌「ITmedia ビジネスオンライン」が発表した
「現在、必要のないものは?」(2020年6月1日発表)
という調査において、「学歴」が堂々の1位に輝いてしまいました。
もちろん、このデータについて捉え方は色々とあるかもしれませんが、日本人が「学歴社会崩壊」という最近の思想傾向に理解を示しつつあることは否定できません。
少なくとも、“学歴を最重要視する”という意味での「学歴社会」は終わりに近づいていることは間違いないでしょう。
今、本当に求めるべきもの
学歴社会が終わるからといって、学歴が全く不要になることはありません。
あくまでも、学歴を最重要視する風潮が無くなるだけで、学歴の必要性自体はこれからも顕在するでしょう。少なくとも我々のような凡人には必要です。
では、どのような点で必要なのか。
それは、これからの日本社会で「本当に求めるべきもの」の一端を担うからです。
社会に必要とされる力
「本当に求めるべきもの」の正体は“社会に必要とされる力”です。
そもそも人間というのは、社会に必要とされる“価値”を提供し、その対価としてお金を貰っているのですから、当然と言えば当然ですよね。
その力とは以下の2つから構成されるものと理解しています。
- スキル
- 信頼
スキル
“社会に必要とされる力”の二大巨頭の一つは“スキル”です。
- 企業における業務
- プログラミング
- ブログ・YouTubeの集客
- 営業のコミュニケーション
など、実際に仕事をこなす上で必要となる能力のことを指します。
多くの人は「企業における業務」をイメージするかもしれませんが、今の時代、社会に必要とされる“スキル”の種はまさに無限大です。
そして、大体の場合“スキル”は学歴と直接的に関係しません(学校の先生や塾講師などの例外もありますが)。
ただ、だからと言って学歴が不要だというのは早とちりです。
信頼
“社会に必要とされる力”の二大巨頭のもう一つは“信頼”です。
誰だって信頼できる人でないと一緒に働きたくありませんよね。
この“信頼”というのは「社会的信頼」のみならず、“スキル”を養成する力があるかという「努力の信頼」も含まれています。
ここで登場するのが「学歴」です。
勉強で一定の成績を出したことを証明する「学歴」は、「社会的信頼」はもちろんのこと、「努力の信頼」をも保証してくれます。
もちろん中身が伴っていないとすぐにボロが出ますし、中身までしっかりと見てくる人も少なくないのですが、少なくとも第一印象で悪いイメージを持たれることは無くなります。
「学歴」は“信頼”を手に入れるための重要な選択肢の一つとなるのです。
もちろんスポーツや音楽など、他の方法での努力が評価されて“信頼”を手に入れることもできるかもしれません。その場合は「学歴」は不要となるでしょう。
しかし凡人の我々にとって、スポーツや音楽で“信頼”を勝ち取るよりも、「学歴」で勝ち取ったほうが圧倒的に手っ取り早いのではないでしょうか。
まとめ
新しい時代で本当に求めるべきものは、“社会に必要とされる力”です。
そのためには「スキル」と「信頼」を手に入れなければなりません。
学歴はそのうちの「信頼」を手に入れるための重要な選択肢の一つとなります。
確かに「信頼」を手に入れる方法は他にもたくさんありますが、それは勉強をサボって遊んでていいという理由にはなりません。中卒・高卒で成功している人たちというのは何か別の形で努力をしています。
その中で最も確実で、安定的な方法が「学歴」なのです。
学歴を最重要視する「学歴社会」が終わりに近づいているとはいえど、学歴の必要性はこれからも顕在するのです。
「現在、必要のないものは?」で学歴が選ばれたのは、恐らく多くの人が学歴によって得られるメリットをうまく活用できていない、あるいは活用していることに気付いていないのではないかと、個人的に推察しています。
僕自身、学歴のありがたみを感じたことは数えきれないほどあります。
学歴社会が撤廃されようと、高学歴を目指す理由はどうやら残りそうですね。
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